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* 栄光と挫折に揺れ動いたエカテリーナ *
エカテリーナ・ロバズニュック - Ekaterina Lobazniouk -
1983年7月10日 現ウズベキスタンスタンのフェルガナ生まれ
エカテリーナは、父ウラジーミルと母リュドミラの間の2人目の子供として、
現在のウズベキスタン、フェルガナで生まれた。 彼女は姉エフゲニアと2人姉妹で、
体操を始めたのは6才、最初のコーチは母のリュドミラでした。
旧ソビエト崩壊後は、故郷フェルガナでの暮らしは激変、
一家は彼女が12才の時に新天地を求めて「バルナウル」へ、
その後、南シベリアの「ルブツォフスク」に移住。
ロシア移住後、ナショナル・チーム入りしたに彼女は、
1997年ロシア極東ユース大会で華々しいデビューを飾り、同年の国際ジュニアで初来日を果たした。
翌年の1998年ヨーロッパ選手権ではジュニアの優勝候補と期待されたものの直前に腕を骨折して涙を呑んだ。
しかし、ロシア国内での選手権開催だった事から、
ディアノフ・コーチは、同様にコーチでもある彼女の母と当時チームで期待されていたジュニア選手を伴い
ルブツォフスクから車で十数時間掛けて現地入り、
スタンドからの応援となった。
毎日、試合が始まる頃にはロシア国旗の小旗を振りながらスタンドに入ってきて、私達の横にちょこんと座り
応援する姿は、まだ幼さを残した可愛い少女だった。
同年秋のロシア選手権では個人7位、跳馬4位、段違い平行棒4位、床では2位を獲得、
翌年1999年春のロシア選手権では、更に上を行く個人5位、跳馬4位、床では堂々の1位、
同年夏には2度目となるロシア極東ユース大会に出場、個人1位、平均台2位、跳馬、段違い平行棒、
床の3種目で1位を獲得する大活躍で、天津世界選手権の代表入りを果たした。
翌年の2000年ヨーロッパ選手権では補欠に涙を呑んだものの、シドニー五輪では見事代表の座を手にした。
シドニーの団体決勝ではチーム全体にミスの連鎖反応が起こり、彼女自身も得意の平均台で落下、
手の届く所にあった金メダルを逃した。
表彰式での口を堅く噛み締めた彼女の表情が脳裏に焼き付いた。
しかし、五輪全体の成績は団体2位、個人4位、種目別の跳馬3位、平均台では2位と言う見事な結果を残した。
このまま順調にロシアのエースに成長する様に見えた彼女でしたが、
翌年の2001年春のロシア選手権の跳馬での着地ミスによるケガが彼女の選手生活を一転させる事になった。
膝の故障は想像以上に重く、回復には1年以上を要し、南アフリカで手術を受けるなど治療とトレーニングを続け、
一時は復帰も果たしたが、以前の様な演技を取り戻す事はなく、2003年初夏、静かに競技人生にピリオドを打った。
私が記憶する彼女は天真爛漫で人懐っこく、声を高揚させながら笑顔で話しかける姿・・・
そんな彼女が再び光り輝く人生の扉を開く事を切に願いたい。 ( World Gym Art イケダ )
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